【奉公方】将軍に近侍する近習(きんじゅ)・供奉の随兵を直轄軍としている奉公方(ほうこうがた)(属している人は奉公衆)が、戦時には親衛軍(奉公方は本陣とか旗下を構成する)となる。彼らのうちには摂津氏・小早川氏のように、地方小土豪で守護に対立し、将軍の直臣になった場合も少なくない。奉公衆は五部隊に編成される。奉公方一番から五番までである。【番頭】各部隊の長を番頭という。それは鎌倉時代以来の関東出身御家人と、足利氏の一門および譜代の有力者から選出される。五人の番頭は将軍に直属する。これは将軍義満の制度化した直轄軍の統帥方式である。そして義満は奉公衆の増強につとめた。【馬廻】明徳二年(一三九一)山名氏清の反乱のとき、将軍の「御馬廻」三千騎が活躍した(『明徳記』)。このころ管領級の大守護が平時京都につれてきている兵力は二、三百騎にすぎない。天正十八年(一五九〇)小田原陣のとき、秀吉の馬廻は九千騎であった(『伊達家文書』)。