【天竜寺船】室町幕府の対外貿易は、尊氏が京都に天竜寺をつくる資金をえるため、暦応四年(一三四一)船一隻を元(げん)に派遣したことにはじまる。
【対明貿易】将軍義満は、平和交渉で倭寇(わこう)(その実体は武装した日本人商船隊、その七、八割までが中国人)の鎮圧をもとめる明国(みんこく)の要求にこたえ、貿易の利益で幕府財政を補強しようとして対明貿易をひらいた。
【抽分銭】幕府をはじめ寺社・大名は、商人や土倉・酒屋の資本を利用しながら、みずから京都の五山(ごさん)(天竜・相国・建仁・東福・万寿の五か寺)の僧を使者として貿易船をだしたが、のちには大商人に請けおわせるようになる。この商船隊が帰国したときに商人に輸入品の価格を定めさせ、その十分の一を抽分銭(ちゅうぶんせん)として幕府に納めさせた。これが対明貿易による幕府の利潤の実態である。
【輸出入品】わが国の輸出品は硫黄・銅を中心とした鉱業品・刀剣・扇・蒔絵・鎧・屏風など、輸入品は生糸をはじめ綿糸・布・絹・紬・綿・錬鉄・鉄器・磁器・書画・骨董・薬材などである。貿易によって宋や元の水墨画が多くの贋物をまじえて輸入された。またきわめて多量の銅貨幣が輸入された。
【朝鮮貿易】朝鮮の李朝の太祖(たいそ)は海賊を禁絶できると信じ、応永六年(一三九九)に日本との正式国交を開いた。日本の貿易船があまりに多いため、対馬(つしま)(長崎県)守護宗氏の証明のないものは公認しないことになった。そして年間に貿易する船の数がきめられた。【歳貢船】この歳貢船(さいこうせん)は嘉吉(かきつ)三年(一四四三)の約条で、宗氏の分だけが五十隻である。しかし将軍・管領(かんれい)・大名・富商なども許された。文明二年(一四七〇)の歳貢船を約定した人は四十名をこえている。この貿易は日本の経済や産業界に大きな影響を与えた。