義満の専制政治

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 将軍足利義満(一三五八-一四〇八)は、多くの試練をへて専制権力を確立した。応永八年(一四〇一)二月、義満は北山第(てい)に沙汰始(政治初)をした。義満は七年前に将軍職を子の義持に譲っているが、将軍は幕府の頭首にすぎない。義満は幕府と宮廷をあわせた日本の統一的支配者と自認していた。義満は臣下としては、最高の太政大臣の位につくが、できれば天皇の称号をうけて天下に君臨する夢をもっていた。応永十五年五月、義満は死亡した。しかし将軍義持よりも義嗣を寵愛して、足利将軍家嫡子の例をふみ、左馬頭・正五位としたが、それをもあとつぎに指名しなかった。そして管領斯波義将の意見で、義満の家督は、将軍義持にきまった。
 
 【将軍義持】将軍義持(一三八五-一四二八)は亡父義満の仕事のすべてに反撥し、これをこわした。義満が深く愛していた義持の弟義嗣は謀反の機会をねらっている。このとき上杉禅秀(ぜんしゅう)(氏憲)の乱がおこる。

足利氏略系