今川氏の遠江侵入

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 嘉吉(かきつ)元年(一四四一)閏九月、義健は駿河守護今川範忠が遠江の地を侵略したのを詰問している(『東寺執行日記』)。了俊の失脚後に、遠江には斯波氏の勢力が進出した。しかし今川系の勢力は残存している。今川・斯波両氏の遠江における衝突は、早晩免れえない蓋然性がある。【引馬 大河内氏】また引馬には浜松荘の領家吉良氏の代官大河内氏が住んでいる。
 
(表)遠江守護
遠江守護 +印死没年の明らかなもの
氏名法名官職名・呼名在職期間
今川範国心省五郎入道元弘3(1333)―暦応1(1338)
仁木義長右馬権助暦応2(1339)―康永2(1343)
千葉貞胤千葉介康永2(1343)―観応2(1351)
仁木義長右馬権助観応2(1351)
今川範氏上総介正平7(1352)
今川範国心省正平7(1352)―貞治4(1365)
今川貞世了俊永和4(1378)
今川範国心省康暦1(1379)―至徳1(1384)
今川貞世了俊至徳1(1384)―嘉慶2(1388)
今川仲秋嘉慶2(1388)―応永6(1399)
今川泰範応永6(1399)
斯波義教(重)応永12(1405)
斯波義淳道忠左兵衛佐 治部大輔応永26(1419)―永享5(1433)
斯波義郷道慶治部大輔永享5(1433)―永享8(1436)
斯波義健道寿治部大輔永享8(1436)―享徳1(1452)
斯波義敏左兵衛佐享徳1(1452)―寛正1(1460)
斯波松王丸(義良・義寛)寛正1(1460)―寛正2(1461)
斯波義廉治部大輔寛正2(1461)―文正1(1466)
斯波義敏左兵衛佐文正1(1466)
斯波義廉治部大輔 左兵衛佐文正1(1466)―文明2(1470)
斯波義寛左兵衛佐延徳3(1491)―文亀1(1501)
斯波義達―永正5(1508)
今川氏親修理大夫永正5(1508)―大永6(1526)
今川氏輝五郎大永6(1526)―天文5(1536)
今川義元治部大輔天文5(1536)―永禄3(1560)
今川氏真上総介永禄3(1560)―永禄11(1568)