斯波家の争い

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 斯波氏の内紛については第二節に述べたが、文正元年(一四六六)七月将軍義政は伊勢貞親らの進言で、義廉をやめて、義敏をたてようとした。しかし細川勝元・山名持豊・一色義直らの有力者は義廉に味方した。おそらく持豊が寝返った結果であろうか、八月に義敏は遠江国などの守護に復職した。けれども九月に細川勝元の圧力がかかると、義敏は越前に逃亡した。そして義廉が復職する。

斯波氏略系