第二次解体期

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 荘園領主が守護や守護の関係者を荘園の代官にしたことは、まもなく荘園をうしなう結果をまねいた。守護たちは農民や国人(こくにん)たちの強い反抗をはねのけながら荘園を押領した。応仁大乱で、守護領国制と荘園制は解体したといえる。それは荘園制をいちおう保証していた幕府が実力をうしない、荘園制を保証する国家体制がなくなったからである。