浜松荘 浜松荘宇間郷に吉良氏の料所(直轄領)があった。応永三十四年(一四二七)八月、吉良義尚は、授竜庵(当市向宿町の寿量院にあたる)にその土地のうち畠一段を寄進した。【引馬城主飯尾乗連】引馬城主飯尾乗連は、天文十年(一五四一)三月、授竜庵領を検地した出目(でめ)の一町九段を新しく寄進した(以上「寿量院文書」『浜松市史史料編二』所収)。【吉良氏領】応仁の乱ごろには吉良氏の所領であったろう。しかし永禄六年(一五六三)五月、今川氏真は、松下筑後入道に、浜松荘因幡郷などを給与している(『古証文』)。【松下氏】市内頭陀寺町に松下氏屋敷跡(次頁写真参照)というのがある。このあたりが因幡郷であろうか。入野の木寺宮領は、特殊な地位にあるため戦国時代まで残った。
【今川氏領 引馬】永禄九年(一五六六)四月今川氏真は、前年引馬城の飯尾連竜を処断した時に身命を捨てて協力した三浦正俊の功を賞し、子与次に対し「遠江国於引間領之内」で所領を与えた(「小栗文書」『浜松市史史料編二』所収)。すでに「引間領」などの称呼がつかわれている。
室町・戦国時代要地図
松下氏屋敷跡(浜松市頭陀寺町)