実暁記

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 永禄元年(一五五八)に奈良興福寺別当実暁の書いた『実暁記』には京都から鎌倉まで百五十余里の東海道六十三宿「宿次の次第」がしるしてあり、室町時代のはじめころの現況と思われる。そのうちで本市に関係のあるのは、「橋本五里、遠江国 池田五十丁 国府二里」である。
 
(表)紀行文などにあらわれた遠江の地名
書名年代作者遠江の地名
いほぬし村上天皇時代(946~967)増基法師たかし山 はまなの橋 橋本
さらしな日記寛仁4年(1020)菅原孝標女さやの中山 天ちう(ろう)川 浜名の橋 ゐのはな坂 高師山
吾妻鏡建久元年(1190)菊川 橋本 池田 懸河 嶋田
吾妻鏡承久3年(1221)菊川駅 国府 天竜河
海道記貞応2年(1223)不詳高志山 堺川 橋本の宿 浜名の橋 浜松の浦 廻沢の宿 池田の宿 天中川 山口 事のままの社 さよの中山 菊川の宿 妙井渡 播豆蔵の宿 大堰川
信生法師集元仁2年(1225)信生法師橋本の宿 はまなの橋 池田の宿 さよの中山 きく川の宿
吾妻鏡暦仁元年(1238)嶋田 懸河 池田 舞沢 松原 橋本
東関紀行仁治3年(1242)不詳高師の山 境川 橋本 浜名の橋 まひざはの原 観音堂 天竜のわたり 国府 いまの浦 ことのままの社小夜の中山 菊川 こはま 大井川
吾妻鏡寛元4年(1246)橋本 引間 池田 懸河 菊川
吾妻鏡建長4年(1252)橋本 引間 池田 懸河 菊河(宗尊親王の下向。『宗尊親王御下向記』同じ)
無名の記文永年間(1264~75)飛鳥井雅有橋本
もがみの河ぢ文永6年(1269)飛鳥井雅有橋本
みやこぢのわかれ建治元年(1275)飛鳥井雅有高師山 潮見坂 宿(橋本) 浜名の橋ひきき(ひきまの誤写カ) てんちう川 てんちう川近くの郷 (池田) さ夜の中山 きく川
いさよひの日記建治3年 (1277)阿仏尼たかしの山 はまなの橋 ひくま(異本ひきま)の宿 はま松 天りうのわたり みつけのこふ さやの中山 ことのままの社 きく川 大井川
うたたねの記不詳阿仏尼はまなの浦
都のつと観応年間(1350~52)僧宗久たかし山 二むら山 さやの中山
富士紀行永享4年(1432)飛鳥井雅世引馬野 せうらが松 高師山 しろすげの港 塩見坂 二平塚橋本 浜名の橋 さやの中山 府中 うへ松
覧富士記  〃堯孝法師塩見坂 二子塚 橋本 浜名の橋 引馬の宿 ひくま野 鷺坂山 遠江府 懸川 さやの中山 かまづか大井川 池田宿 うへ松の原 せうらが松 いなさ細江
富士御覧日記  〃不詳塩見坂
正広日記文明5年(1473)僧正広しらすか みつけのこう さ夜の中山 相良 かさはら 勝間田 西山寺 玉泉房 遠江の府中
平安紀行文明12年(1480)不詳かなやの駅 菊川 日坂 浜松の駅 あらゐの浜(偽作ともいうが便宜かかげる)
梅花無尽蔵文明17年 (1485)万里集九浜名湖 大昌寺 黍里 浜名浦 箕形原 普済寺 引間市 浜松庄 天竜河 懸塚 大洞院
明応7年 (1498)浜名湖が大地震により外海とつながり,今切の水道ができる
富士歴覧記明応8年(1499)飛鳥井雅康わしづ 本興寺 うぶみの渡 いなさ細江 引馬の宿 引馬野 さ夜の中山 日坂 吉美 妙立寺 しほみ坂
宗長手記大永年間 (1521~28)宗長吉美 浜名の渡り 浜名湖 本坂 いなさ細江 いなさ山 河西 鵜津山の城 堀江の城 浜名城 刑部城 井伊 深岳 村櫛 山崎 引馬 普済寺 笠井庄 河匂荘 天竜川 二俣 社山 見附 懸川 小夜の中山 金谷 大井川
あづまの道の記天文2年(1533)尊海浜名の橋 引間 ひくま野 あまがた 懸川 小夜の中山 菊川の宿
東国紀行天文13年(1544)宗牧井伊 都田 引馬野 引間 天竜川 池田宿の跡 見つけのこう 佐夜の中山 日坂 大井川
言継卿記弘治2年(1556)山科言継引馬 引馬川 天竜川 見付 かけ川 日坂 左夜中山 菊川 金屋里 大井川 はら川 袋井 池田
実暁記永禄元年(1558)実暁橋本 疋馬 池田 国府
富士見道記永禄10年(1567)紹巴塩見坂 白菅 浜名橋あと 今切の渡り 引間 天竜川 見付の里 掛川の里 日坂 小夜の長山 菊川 金谷 大井川 頭陀寺 気賀西光寺 小伊那佐峠
東国陣道記天正18年(1590)長岡幽斎三形が原 みつけのこふ さよの中山 山口