陸運

560 ~ 560 / 706ページ
 【関所】道路や橋は一般の旅行者のため整備されていなかった。しかも旅行者を苦しめたものの一つに関所がある。鎌倉御所から将軍への進物は、判留壱岐入道の「印」で関所を通過できたのに、尾張と遠江の関所で承知しなかった。宝徳三年(一四五一)六月十八日、両国守護斯波義健はその不法を排除するよう守護代に指令した。【天竜・橋本の関所】六月二十一目、遠江守護代甲斐常治は天竜・橋本両渡の関所に対し、遵行状(じゅんぎょうじょう)(守護が守護代にあてた指令書、守護代としては打渡状を発給すべきである)を発給した(『上杉古文書』二)。両処の渡船場に関所を設け(在地の豪族であろう)関銭を徴収したであろうことが推定される。