浜松のおこり

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 本市は東海道の交通上の要地の引馬宿と、引馬市の商業聚落によって発展してきた。交通量だけでなく、豊富な農業生産力にささえられている。寛正(かんしょう)のころ(一四六〇-一四六五)蒲御厨公文(かばのみくりやくもん)大角氏の譜代(ふだい)の下人(げにん)が引馬市に逃げこみ、問題となった。都市には賎民・浮浪者や領主・名主の圧迫にたえかねて流れこんだ細民もある。