一揆と土倉

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 一揆の目標にされて大損害をうけた土倉は、すぐにたち直っている。土倉はもうだれにも必要な存在であった。しかも嘉吉の一揆のあとには、利息をあげ毎月払とし、三か月で流質(ながれじち)にすることにしたが、それでも利用者はたえない。また徳政一揆がおこるという悪循環をくりかえした。
 嘉吉三年にまた徳政一揆があり、そののち毎年といってもよいほど土民一揆がおこった。