土一揆の発生した地帯は、正長元年(一四二八)から文正元年(一四六六)までの全数二十二のうち十を数えるのが京都である(永原慶二『日本の歴史』10ー下剋上の時代ー)。この地区は没落しつつあった荘園領主の最後の拠点であり、他面では経済発展のもっとも高い先進地帯である。土一揆の歴史的な性格について、いろいろの学説がある。しかし一揆は局地的であっても中央権力の所在地でおこり、それを脅威する力をもっていた。土一揆は複雑な地帯に複雑な条件のもとに発生したので、直線的に解釈することはできない。
土一揆発生の地帯 土一揆の性格