駿河の臨済宗

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 なお大休宗休(たいきゅうそうきゅう)は天文五年(一五三六)今川義元に招かれて臨済寺(りんざいじ)(静岡市大岩町)に入り、二世太原崇孚(たいげんすうふ)は、今川氏の同族であり、その軍師をもつとめた。そして臨済宗を中心とした駿河国の禅宗は、東海道をおさえたようにみえた。しかし今川氏の滅亡とともに臨済派の勢力は衰えた。
 本願寺は第三代法主(ほっす)覚如から善如・綽如・巧如・存如と移るが、それほど発展しない。とくに関東・東北・九州などの社会的・経済的におくれている地区でははなはだしかった。