義満は五山(ごさん)(京都では、天竜・相国・建仁・東福・万寿の五か寺)の禅宗が、修禅と漢詩文や唐絵の作成という外来文化としての二つの面をもっているのに心をひかれ、保護者となった。そして五山文化が生まれることになる。しかも日明貿易によって輸入された唐物(からもの)の中で、唐絵がきわめて多かった。これは鑑賞するだけでなく財宝としての価値もあった。しかし五山文化とか北山文化は中国文化をまねただけである。
義満は、旧仏教の人びととも接触して、貴族的教養を身につけていた。
北山文化 唐絵