義政がこの山荘に住んだころを東山時代、そこを中心にさかえた文化を東山文化とよぶのがふつうである。義政は人間的な苦しみと憤りをまぎらわすため、風流な生活を送り、浄土宗を信仰した。そのうえにたって、禅宗がもっている幽玄さ(わび・さび)の中から、美しく価値のあるものをみいだそうとするのが義政の理想であり、東山文化の基調である。またこのころの土倉(どそう)(質業者)や町衆(まちしゅう)(京都などの商人、手工業者の地域的なむすびつき)ですぐれた文化活動をし、その遺産をいまに伝えているのは、ひろい意味での東山文化とみてよいだろう。