室町時代と浜松

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 本市にあった、もと蒲御厨は日本の農業史上で早稲と中稲、中稲と晩稲との接点になっていた。農業でも、本市の地区は先進地帯にはいる。引馬の市では土倉も営業し、土一揆の対象にもなった。下人(げにん)が市に逃げこんだこともある。「引馬市富屋千区」というのは、このような豊かな経済力に裏打ちされた現象である。室町時代の文化の波は交通のはげしい引馬の地区におよんだであろう。ただ浜松荘は三河吉良氏の所領で、代官の治下にあり、戦国時代に今川氏の分国となるので、それまでの施策はみるべきものがないようである。