守護大名と戦国大名とは、どうちがうのだろうか。
【荘園体制の利用と否定】一、守護大名は、荘園体制を利用している。
戦国大名は、荘園体制をほとんどまったく否定した。荘園が残っておれば、それだけ自分の分国(ぶんこく)がせまくなる。【検地】後北条氏をはじめとし今川氏などは、国内に検地(けんち)をしている。守護大名で分国内の検地をした例はない(戦国大名でも上杉氏は太閤検地まで検地をしなかった)。戦国大名になると、直轄領(蔵入地)がかなり創出される。蔵入地の基本的な形は城付蔵入地である。それには領主の直接の消費などにあてる本城の「台所入」と、支城の城付蔵入地がある。後者は在城料つまり兵糧や城兵の扶持分と普請・作事の飯米などにあてる城米・城金銀である。そして戦国大名の蔵入地は守護大名のより多いが、散在しており、量的にそれほどでもないのがふつうである。【知行地】また戦国大名は分国内の国人(こくにん)・土豪の所領のすべてを大名からの給与地(知行地)であるとする。その年貢高を基準に一定の軍役(ぐんやく)・公事(くじ)・夫役などをかける。
【家臣団のちがい】一、守護大名の家臣団は、地縁的な同族結合としての党とか一揆などという国人が多い。戦国大名では同族たちのむすびつきだけでなく、そのまわりにまったく血縁のない国人・土豪など多くの集団と個人を家臣団にくみいれている。そして知行(ちぎょう)と扶持(ふち)を与えた。【直属家臣団】これとともに大名の直轄領の代官をしている奉公衆・旗下(はたした)などという直属家臣団が、ほかの家臣団を個別に撃破できるほど強力に編成される。
【農民のおさえかた】一、守護大名は、農民を直接おさえていない。【被官制 与力同心制】戦国大名になると、被官制(ひかんせい)か与力(よりき)・同心(どうしん)制かのどちらかで、農村の有力農を家臣団としておさえる。