つぎに守護大名と戦国大名の類似点をあげてみよう。
戦国大名は確定した一円的な領土をもち、戦いをつづけていたと考えられがちである。しかし彼らの領土は大小を問わず、個々の独立した国人・土豪領の集積であり、それに対応して有力大名のあいだには多くの小大名が介在し、同盟し屈服し、裏切っているのが実情である。守護大名でも戦国大名でも、その分国の境界は不分明である。【勢力範囲】近世大名の領国に比べると、勢力範囲ともいうべきものが戦国大名の領国である。そこで戦国大名は、武力抗争と外交戦を同時に行なわねばならない。たとえば、近江国で六角氏と浅井氏との国境などの接点は、佐和山城(彦根市佐和山町、二三二メートル)であるが、両方でこの攻防をくりかえしている。美濃斎藤氏の領土も判然しない。尾張織田氏の場合も同じである。