足利将軍の運命

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 【将軍義材 将軍義澄】管領細川政元(細川勝元の子)は、明応二年(一四九三)四月、義材を捕えさせ、足利政知(堀越公方)の子義澄(はじめ義高・義遐という)を将軍にした。義材は越中(富山県)に逃れ、兵を集め同八年十一月京都にせまったが敗北し、のち周防(山口県)の守護大内義興をたよる。ここで義尹と改名した。