目次
/
中世編
/
第五章 戦国時代
/
第一節 戦国大名
/
下剋上の時代
足利将軍の運命
581 ~ 581 / 706ページ
【将軍義材 将軍義澄】管領細川政元(細川勝元の子)は、明応二年(一四九三)四月、義材を捕えさせ、足利政知(堀越公方)の子義澄(はじめ義高・義遐という)を将軍にした。義材は越中(富山県)に逃れ、兵を集め同八年十一月京都にせまったが敗北し、のち周防(山口県)の守護大内義興をたよる。ここで義尹と改名した。