三好氏の台頭

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 【将軍義輝】三好氏は阿波(徳島県)の守護細川家の老臣で、元長まで三代、主家のために戦死している。元長が一向一揆のため自殺すると範長がつぎ、老臣の松永久秀が助ける。範長改めの長慶は、主君の晴元が一族宗三をいたわるのに立腹し、細川氏綱をたてようとして晴元と戦いをはじめる。義晴と子の義藤は、この戦いにまきこまれて、近江国(滋賀県)に避難していることが多い。そして義晴は十九年(一五五〇)五月死亡し、二十一年正月に子義藤は晴元や長慶と和約した。晴元は出家し、子の信良を三好氏が助けることになり、義藤は京都に帰った。のちの悲劇の将軍義輝である。長慶は信良をほうじて幕府に出仕している。しばらくは三好長慶の「天下」である。
 三好長慶は永禄(えいろく)七年(一五六四)七月、摂津芥川城(高槻市)で急死する。松永久秀に毒殺されたとの噂もあった。弟十河(そごう)一存の子義継があとをつぎ、一族の三好日向守長逸・同下野守政康・石成主税助友通(いしなりちからのすけともみち)の三人が補佐した。この三人を三好三人衆という。