繁田氏

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 繁田氏 遠江の人繁田宗治は、東遊して武蔵江戸城に寓居していた。江戸城は扇谷上杉定正の属城であった。明応元年(一四九二)十月に、宗治は相模鎌倉の禅興寺明月院塔主玉隠英璵に、住居の斎銘をつけてもらった(東京大学史料編纂所所蔵『文明明応年間関東禅林詩文等抄録』)。遠江には繁田の一族が繁栄していたろう。
 当市とその周辺の小土豪ー必ずしも厳密ではない。ーの一覧表を前頁に掲げた。
 
(表)
人名年紀出典備考
石河氏文明17. 9.15梅花無尽蔵万里集九を引馬宿に訪問
中山民部入道生心永正13.12. 3本興寺文書中山生心は新居中ノ郷領主。大原資良は今川氏の将か。
大原肥前守資良(浜名郡湖西町)
瀬名氏貞大永 5.11.23竜泉寺文書蒲東方
地頭高橋靏寿丸大永 7. 3.11息神社文書浜松庄宇布見郷米大明神。鳥居造立棟札
(浜名郡雄踏町)
山内刑部少輔天文 2.あづまの道の記引馬の住人。(第2章第5節参照)
各和道空天文 7. 6. 1永源寺文書袋井市の尊永寺文書にも見える。
朝比奈三郎右兵衛尉同上同上朝比奈氏の一族は多い。
鵜殿長持天文21仲冬15本興寺文書本興寺仏殿修復棟札写。将昌は引馬城飯尾乗連の代官。なお野末藤左衛門尉らの一族。忠内信秀の名がみえる。
西郷弾正左衛門将昌同上
土屋新右衛門尉長久天文24 孟暑晦日鷲津八幡諏訪神社文書旧諏訪神社宝殿上葺棟札。長久は在所の長。
紅林次郎三衛門天文24. 5.14長谷川文書同名右京亮もみえる。
(小笠郡小笠町)
青谷弥太郎弘治 3.11.27中村文書阿多古青谷村の住人。
(天竜市両島)
酒間紹可永禄 6. 3.12中村文書今川家朱印状。伊久美源兵衛の名もみえる。
(浜名郡雄踏町)
高橋右近永禄 7. 3.朔蒲神明宮文書今川氏真判物。右近は斯波義達の旧臣。
(市内蒲神明宮)
袴田対馬入道永禄10.10.13瀬戸文書今川氏真判物。須部彦二郎、坂田入道ら。
(引佐郡引佐町)
赤佐次郎左衛門永禄11. 9.14瀬戸文書今川氏真判物。上都田只尾、下都田十郎兵衛、祝田十郎、瀬戸宝久(瀬戸氏の一族は多い。)
(引佐郡引佐町)
久野宗能永禄11.12.21譜牒余録遠江久野の住人。
中山又七永禄12. 1.11富永文書徳川家康判物写。
(島田市初倉)
加々爪政豊永禄12. 1.15記録御用所本古文書山名郡山名荘新池の住人。
孕石元泰永禄12. 4.15孕石文書武田信玄安堵状。孕石氏は小笠郡孕石の住人。
(高知市)
本間八郎三郎元亀 2. 3.13本間文書徳川家康判物写。
(小笠郡浜岡町)
幡鎌右近丞元亀 3.11. 2木下文書武田家朱印状。
(周智郡春野町)
岸平右衛門尉天正 2. 6. 9岸文書武田家朱印状。
(小笠郡城東村)
中村肥後守天正 2.11.晦中村文書武田家朱印状、この時点でこの地方で武田氏の味方があった。
(引佐郡細江町)
浜松氏今川記浜松荘の住人であろう。
(なお『蠢簡集残篇』三に収めた永禄3年12月9日「松井宗信宛今川氏真判物案」によると,宗信の部下には蒲で篠瀬藤三郎,同源太郎,蒜田孫二郎,同彦七郎,大隅善四郎,赤佐村で別所源太郎,浜名御厨で岡本四郎次郎,村櫛で和田八郎次郎,同二郎左衛門尉,向笠村で向笠助七,白羽村で山下弥十郎,河匂荘で太田又太郎らの名がみえる。また勝間田氏,横地氏は『今川記』に,浅羽幸忠は華蔵院文書に,飯田城主山内通泰は「崇信寺文書」に見える)。