応仁の乱に上洛

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 【浜松氏】応仁の乱がはじまると、駿河守護今川義忠は千余騎を引率して原・小笠原・笠原・浜松・庵原・新野氏を先陣として上洛した。それは文明元年(一四六九)のようである(『今川記』『応仁広記』)。義忠は山名方の誘いをきかず、細川方に味方した。斯波氏は山名方であり、これと遠州を争う立場から細川方にたったのである。