今川氏の内争

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 そののちも一門の瀬名・関口・新野・入野・奈古屋、重臣の三浦・両朝比奈・庵原・由比らは、義忠の後継者をめぐって争い、戦をまじえる。ついに義忠の弟(『今川系図』は叔父)範頼の子範満が国政を監督することになった。義忠の妾伊勢氏は義忠の子竜王丸(時に六歳)をつれて避難する。
 伊豆堀越(ほりこし)(静岡県田方郡韮山町)の足利政知は六月、上杉政憲と扇谷の上杉顕房にめいじ、太田道灌に兵をひきいて駿河(静岡県)に入らせた。駿河石脇城(焼津市)にいた伊勢氏の兄新九郎宗瑞(早雲)は、道灌に諒解をもとめ、今川氏の一族や家臣をとき、七月に竜王丸を迎えて今川家の当主とした(以上『太田道灌状』『鎌倉大草子』『相州文書』『今川記』『宗長手記』『勝山小笠原文書』『北条五代記』)。のちの氏親である。