松堂高盛の語録

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 【飯田荘】掛川市寺島の円通院(いまは廃寺)の住持松堂高盛(こうせい)によってこの地方に曹洞禅の教線がのびた。「周智郡飯田荘観音寺藤本坊」の愛菊丸は「天童」といわれるほどであった。松堂はこれに「和光同塵」の宝号を書して与えている。また飯田荘戸和田郷の藤原通信・通種は、亡母の十三回忌を松堂の導師の下に修している。
 
 【増楽寺 東漸寺】この円通院も伊勢宗瑞の兵火に焼失した。浜名郡可美村増楽(ぞうら)の増楽寺住持は、松堂を見舞っている。松堂は縁をもとめて河勾荘の東漸寺(いまは当市成子町に所在)に避難した。翌四年孟春(正月)円通院に帰山するにあたり、七言、五十句の長詩をつくり、諸檀那の丹誠に感謝した。松堂は宿泊した性禅寺をはじめ聖寿寺・増楽寺・大洞院に謝意を表した(『円通松堂禅師語録』三)。

東漸寺(浜松市成子町)