遠江の戦乱の一

598 ~ 599 / 706ページ
 【斯波氏小笠原氏の出陣】遠江守護斯波義寛は、同族の寛元・義雄を出陣させる。その十日、寛元は、信濃の小笠原定基・貞忠父子に援助をもとめた。のち信濃守護小笠原長朝の子貞朝も出陣し、八月十二日遠江二俣に滞陣している(十二日長朝は死亡し、貞朝が守護となる)。【村櫛氏 堀江氏】村櫛氏や堀江三郎左衛門尉も、義寛に協力している(以上、東京大学史料編纂所所蔵『小笠原文書』)。
 
 【朝比奈氏】今川氏親の将で懸川城を守る朝比奈泰凞は、伊勢宗瑞とともに斯波・小笠原両氏の連合軍と昌長らを撃破し、信濃・三河の国境まで平定した。泰凞は十一月一日付で大沢氏と馬伏城の小笠原春儀にあてて、今川氏親が明日は懸河に着陣することと、「三河衆の恐るるに足らぬこと」を述べ、その城を堅守し、辛抱して援兵を送るよう再度にわたり命令した(『大沢文書』)。【大沢氏】大沢氏は馬伏城に篭城していたとみえる。大沢氏と春儀との反応は明らかでない。【氏親の遠江鎮圧】泰凞と宗瑞は河西・村櫛・堀江下野守らを遠州の軍勢で攻撃し、二、三日で鎮圧した。【大河内氏】吉良氏の知行する浜松荘の奉行(代官)大河内備中守貞綱は、下野守に味方しており逃亡する。そこで吉良氏は飯尾賢連(長連の子)を臨時に奉行とした。