氏親の三河侵略

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 【今橋城】やや安定感をえた氏親は永正二年に、三河の侵略にのりだす。そして抵抗を排除し、着々と浸透してゆく。三年十一月に、氏親は三河今橋(豊橋市)に出陣している。
 
 【遠江守護任命】永正五年(一五〇八)七月、将軍義尹(義稙)が復職すると、氏親は遠江守護になり、礼銭一万疋(一疋は十文)を進上した。同十三日、義尹は謝辞を述べている(『御内書案』)。
 
 【田原城】八月、氏親は伊勢宗瑞とともに三河の松平長親を攻撃した。しかし今橋城の牧野古白は今川氏に敵対した。渥美郡田原城の戸田憲光も古白と争っているため、氏親はこれを援け、信濃の小笠原定基の出陣をえて今橋城を攻略し、なお西三河に示威運動をした。
 十二月、氏親は将軍義尹に馬を進上しようとしたが、遠江は戦乱のため、信濃・三河をへて上洛させた(『御内書案』『飯尾文書』)。