新津城跡(浜松市村櫛町)
【氏親出陣 飯尾賢連 大菩薩山】永正十一年(一五一四)、貞綱はまた兵をあげた。氏親は室町幕府奉行人飯尾氏の一族の飯尾賢連を京都から招いていたが、この賢連とともに笠井荘(当市笠井町)楞厳(りょうごん)寺(いまは廃寺)に進み、諸軍は大菩薩山に陣した(『宗長手記』)。福島範為が十月一日付で中安氏に与えた書状によると(『大沢文書』)「引間に進撃しようとする、けれども雨天のため天竜川を渡れず延引している。また村櫛には、兵粮を調達させるように手配せよ」とある。永正十一年の作戦であろう。
大菩薩山城跡(浜松市有玉西町)
【三嶽城の井伊氏】斯波義達は尾張の兵をひきい、貞綱に応じ、井伊直盛とともに引佐郡の三嶽城に篭城した。朝比奈泰以は、これを攻略する。このとき甲斐(山梨県)の武田氏に内乱がおこった。氏親は撤兵して、今川氏の拠点甲斐勝山城(東八代郡)に援兵を入れた。
【氏親の甲州出兵】甲斐の守護武田信虎は、国内平定のため一族大井信達を永正十二年十月に攻めた。信達のもとめで、氏親は兵二千で援助した(以上『異本塔寺長帳』『宇津山記』『宗長手記』)。