喧嘩両成敗

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 戦国の世であるから、喧嘩や口論も多かった。争いのすえ、両方に味方するものがあったりすると、家臣団の統制をみだすことになるので、今川氏は、両方とも死罪、助力者が負傷し死亡しても知らない、ときめてある(八条)。