騎馬武者が中心の軍隊

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 戦いのばあいには斥候(せっこう)をだして敵状をさぐり、行動にうつる。極秘のときは忍物見(しのびものみ)という。元亀(げんき)三年(一五七二)十二月、武田信玄は遠江二俣城の守備軍に対し「忍の用心」を警告している(『信濃友野文書』)。家康軍は、この斥候をつかったようである。