瀬戸内海沿岸地方だけでなく、海岸ではどこでも小規模な塩がとれた。塩田をつくり、人力で海水をくみあげ、塩田に流し、自然蒸発で、濃い塩水をとる揚浜法が行なわれ、また室町時代の末には、溝をほり、潮の干満を利用して塩田に灌水する入浜法が採用されだした。【宇布見の塩浜 新浜】天正十一年(一五八三)分の宇布見(雄踏町)の「地頭領家御年貢納下勘定事」(「中村文書」『県史料』五所収)によると、宇布見では塩浜の年貢を納め、この年に新浜も経営している。天正十五年分の勘定書によると、入浜法らしくある。
製塩業