以上のような条件をふまえて、大名の農業政策が実施される。
【田畠の減少防止と新田開発】まず大名は、田畠の減少をふせぐとともに、進んで新田の開発をはかり、耕地をふやすことに努力した。今川氏は地頭が百姓の名田を自由に没収することを禁止して、土地所有を保護している(『今川仮名目録』一条)。また今川氏真は富士田上原を開くという町田左衛門三郎に、棟別などの諸役を永禄(えいろく)四年(一五六一)から十年間免除した。天正七年(一五七九)十一月、徳川家康の将酒井忠次らは、三河の吉田・横須賀の百姓に諸役を免除し新田を開発させた。
【農業用水】少量の農業用水を公平に分配することに大名の苦心がある。用水路の維持費にあてた井料(いりょう)について今川氏の規定がある(『今川仮名目録』五条)。中世の用水の規定や慣習は、ほとんどそのまま近世にひきつがれた。
【堤防管理】河川に堤防を築き、これを維持するのは大名の責任である。武田信玄が富士川上流の釜無(かまなし)川に施工した信玄堤は、その典型的な一例である。【天竜川の堤防林】今川氏真は、遠江浜名郡万石(万斛、いま当市中郡町)の名主沢木六郎左衛門に対し、「所有地の竹木は天竜川の堤防林である」、との申したてを了承し、その伐採を禁止している(『沢木文書』)。