戦国大名は、領主権をうちたて、荘園制をのりこえるために検地を行なった。後北条氏は、早雲庵宗瑞がなお健在であったころの永正三年(一五〇六)に、相模の西のはずれの宮地で検地をしている(佐脇栄智「後北条氏の検地」『日本歴史』一七七号)。これが戦国大名の検地の初見である。つぎは大永(たいえい)四年(一五二四)今川氏親が駿河国で実施している。義元は遠江国に対し、天文十七年(一五四八)から二十年・二十二年・弘治二年(一五五六)・三年と実施している。家康は元亀二年(一五七一)に遠江の検地をしている(『鈴木文書』)。