堀江の中安安定のばあい

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 中安兵部少輔安定は、遠江堀江城主大沢基胤の一族で、永禄十一年(一五六八)に家康が遠江に進駐すると帰順し、元亀元年(一五七〇)姉川の合戦で勇戦し、家康の馬前で戦死した。
 弘治三年(一五五七)の検地に、安定は増分を隠して申告したが(増分が知行地に加えられると、軍役もふえる)、五年後の永禄五年に、知行地五か村の百姓に摘発され、今川氏に訴えられた。