浜松のばあい

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 【発展の条件】当市は、政治・宿駅・市場など都市成立の条件を早くから多くかね備えて発展をつづけてきた。【引馬城】引馬の古城は、吉良氏の家臣巨海(おおみ)新左衛門尉が築いたようである。しかし永禄(えいろく)十一年(一五六八)に徳川家康が入ってから、政治都市としての重厚さをつけてきた。【伝馬町】家康は、浜松十王町の有力者助右衛門に人足・馬をもって兵糧をはこばせた。これが十王町の伝馬町となるはじめである。
 
 【歩役 夫役 肴町】馬のない町には歩役(あるきやく)といい、人足が荷物をはこぶ夫役(ぶやく)がかけられた。肴町・田町・旅籠町がこの役を負担する歩役町になった。家康が入城したころは、六軒の魚屋が城の近くに棚(たな)をならべ、そのほか一、二名の行商人がいた。はじめは六軒が魚類の御用商人をめいぜられたが、需要が拡大するにつれて、徳川氏は、「六十人の魚屋をとりたてるならば、六人を名主にし街道の裏に新しく肴町をつくらす、そして西は舞坂港、東は掛塚港までの専売と、浜松市内で肴町に専売権を与え、地子を免除する」と示達した。
 
 【旅人宿町】田町も旅籠町も旅人宿の町である。城下町の役町は、こうして成立してきた(「浜松宿御役町由来記」『浜松市史史料編一』所収)。