戦国大名の分国領では、陸運と水運が運輸の根幹であり、通信は書翰や使者らの往復と烽火(のろし)にかぎられていた。交通は公共の利害に直接つながっている。戦国大名の交通政策といってもこのわくをはみでてよいものではない。これと軍用優先との必要をどう調整するかが、問題の焦点であろう。
【陸運政策】農民たちは信仰する社寺に参詣した。その交通量は戦国時代でも少なくない。貴族・連歌師・禅僧たちが、地方大名や豪族に招かれ、また進んで地方を巡歴した。中央と地方の文化交流という役割をはたしたが、その交通量はいうにたりない。陸運政策として、道路の新設・改修、橋梁の架設・改修、関所と渡船場の整備などが課題になる。
【勧進】大名は道路と橋梁の建設には、関係領民の労働力を徴用した。かつて人びとの信仰心にうったえ、社寺の造営や道・橋を修築する費用の拠出をもとめたのが勧進僧(かんじんそう)で、この行為が勧進である。ところが戦国大名も勧進を募集した。しかしその出金額は一定され、ださねば厳罰をうける。【家康のばあい】徳川家康は、天竜川・馬篭(込)川・浜名湖・今切渡・新居渡など、国内のおもな大河川の渡船の建造に勧進させている。