目次
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中世編
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第五章 戦国時代
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第六節 民政
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交通・通信
信長と天竜川
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織田信長は天正十年(一五八二)三月、宿敵武田勝頼父子を滅し、徳川家康の歓待をうけながら、東海道を安土(滋賀県)城に向かう。四月十六日池田宿から天竜川につく。【舟橋】家康は大天竜に舟橋を架けた。『原本信長記』には、ここに舟橋を架けたのは、有史以来はじめだという。事実はそうでない。信長は小天竜を乗りこして浜松城に宿した。ここで小性衆・馬廻衆に暇を与えた。【本坂越 今切渡】彼らは本坂越・今切渡で帰途につく。
【汐見坂】十七日早朝に、信長は浜松をでて、今切の渡では飾った「御座船」のうちで家康の饗宴をうけた。家康は随行船を多くよせ、前後に舟奉行をつけ、油断なく警固した。信長は舟をあがり、右手の浜名の橋で家康の家臣渡辺孫一郎から橋や今切の由来を聞き黄金を与えた。汐見坂にも茶屋と厩がつくられてあり、ここでも家康は酒饌を呈上した。この日に信長は吉田に宿泊する(以上『原本信長記』)。
大天竜小天竜図(遠江国風土記伝)