永禄三年(一五六〇)四月八日、今川氏は皇大神宮御師(おし)で今川家の祈祷師足代(あじろ)玄蕃に対し、分国の駿遠・三国内の檀那を巡廻する旅行のために伝馬手形を与えた(『賜蘆文庫文書』足代玄蕃所蔵)。
この手形には伝馬の二字の上に、八角重廓で印文「調」の一字をあらわした朱印を一つおしてある(なおこの印判は永禄二年と三年の文書に限る。「如律令」の印判を正印とすれば、これは副印というべきもの)。宿駅に対し伝馬二疋を仕立てさせた手形だが、無賃ではないようである。無賃でなければ、この手形により、各宿駅に対し、伝馬を仕立てさせる優先権を与えられたことになる(相田二郎『中世の関所』)。