徳川家康の伝馬手形

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 天正九年(一五八一)霜月十二日、下野(栃木県)皆川氏の一族が、相模小田原(小田原市)の北条氏の使者として上洛し、織田信長に会見したとき、家康がその使者に与えた手形がある。徳川氏の伝馬手形として、最古のものである(『皆川文書』)。伝馬の字面に「伝馬之調」の四字を二行にならべた重廓方形の朱印判をおしてある。この印判は、慶長六年(一六〇一)正月に東海道五十三次の宿駅ができるまで、伝馬手形専用として使用された(相田二郎『中世の関所』)。また家康は、天正十年、三河の竜海院に対し、遠江・三河両国の伝馬手形を与えた『参州寺社古文書』)。【伝馬町】本市伝馬町は、その任務をした名残りである。

徳川氏伝馬手形 皆川文書