戦時の水運政策

642 ~ 642 / 706ページ
 【武田の水軍】武田氏は、今川氏の水運機関を接収すると、水軍の編成にのりだした。信玄の水軍は、大安宅(おおあたか)丸一艘と船五十二艘をもつ勢力となった。武田氏滅亡ののち、その水軍は徳川氏に接収される。
 戦いがはじまれば、軍需品の輸送や、商船の往来を禁止するなどの戦時の水運政策がとられる。今川氏も戦時には港湾を統制した。
 中世の海運は、海賊と関税のため発達がおくれた。南北朝ころになると、交通業者は一部の海賊と妥協し、一定の財貨を与えて、その警固(けご)をうけた。やがて海賊は弾圧されて、その首領は大名の部下になる。