鎌倉武士は、その主将の源家が氏神として八幡信仰をもっていたから、その家人たちも八幡に対する信仰があった。今川氏は八幡、松平氏の氏神は三河松平郷の六所明神である。この神社は、室町時代からこの地方の土豪であった松平氏一党の「氏神」としてあつい信仰をあつめていた。それは松平氏の祖先でなく、その土地にかなり古くからまつられていた土地神(産土神(うぶすながみ))である。この産土神を松平氏がもったことは、土豪としてのはじまりが新しく、室町時代からまえのことは、ほとんど氏族として確実な知識になっていないことを示すものである。
松平氏が氏神とはいわないけれども、氏神として信仰していたのは、三河の伊賀八幡宮(岡崎市)である。この神社は松平氏がつくったのでなく、この土地の神を氏神として信仰するようになったのである。それは源氏の氏神としての氏神でなく、弓矢の神としてであろう。伊賀八幡宮は江戸時代になっても将軍家の氏神としてたっとばれた。