【五社神社 諏訪神社】なお徳川氏の氏神は、五社神社とか諏訪神社だともいわれる(『武家事紀』続集四十一)。天正八年(一五八〇)七月、家康は浜松城内の五社明神を城外に遷した(『浜松御在城記』『武徳編年集成』)。慶長十五年(一六一〇)十月、彦坂光正の判物写には「浜松御社大明神領之事」(「五社神社文書」『浜松市史史料編二』所収)とある。当市内利町(とぎまち)の五社神社がこれで、相殿(あいどの)には応神天皇と家康とをまつる。
諏訪神社は家康が永禄十一年遠州入りの時から信仰しているという(『浜松諏訪神社社家由緒』)。相殿には家康をまつる。市内利町に鎮座。