【小領主の神社】大名の分国内の小領主も神社をもっていた。大名はこれらの氏神に対しても大名としての権威をかざして統制し利用した。いままでは神社をおそれたっとんでいたが、いまはこれを利用するまでになった。大名は、小土豪がその神社の神官や社領を統制し保証する事実を認証して、間接に統制した。新しく領土となった地域の神社は、信仰と政治上の統制をうけることになる。
【入野郷】永正十四年(一五一七)に井伊千代寿が、峯田郷一町六段の年貢三貫文を、永禄十年(一五六七)今川氏真は入野郷(浜松市入野町)のうちで百五貫文の年貢のある土地を(『熊野夫須美神社文書』)、同十二年徳川家康は山野荘土橋郷(袋井市土橋)八貫文を、いずれも熊野那智神社(和歌山県那智勝浦町、実報院)に寄進している。