【二諦坊 鴨江寺】大永五年(一五二五)八月に今川氏親は、当市内頭陀寺千手院に対し遠江国中での加賀国の白山先達職(せんだつしき)を保証し、市内元魚町に所在した二諦坊には、浜松荘のうち川西の分の先達とした(『頭陀寺文書』)。争いがあったからである。白山宮の鰐口の銘文はつぎのとおりである(『静岡県史料』一所収、浜松市金山宥教氏所蔵)。
「奉掛神前□(鰐)口一打、遠江国敷知郡浜松庄鴨江寺白山之宮別当二諦坊法印一笑
慶長十一年丙午三月吉日 江戸御大工椎名兵庫助吉次」
これによると二諦坊は、鴨江寺のおそらくは鎮守の白山宮の別当寺であろう。天正十八年(一五九〇)、豊臣秀吉は二諦坊に三河・遠江・駿河での白山先達職などを保証した(「二諦坊文書」『浜松市史史料編二』所収)。