浄土宗

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 【三河国】戦国時代に浄土宗が、もっとも栄えたのは三河である。十五世紀に入り、了暁(りょうぎょう)は牧野康成の外護(げご)で大恩寺を開いた。宝徳(ほうとく)三年(一四五一)了暁の法弟存冏(ぞんけい)は、松平信光に迎えられ、信光明寺(岡崎市)を創建し、文明七年(一四七五)松平親忠によって勢誉愚底(せいよぐてい)を開山とした大樹寺(岡崎市)ができた。【松平氏の外護】この寺は、松平氏が三河国を統一していくうちに松平一族の外護で、三河全国に五十余か寺の末寺をだした。【鎮西派】永禄三年(一五六〇)に家康は、さらに松応寺(岡崎市)を建立している。これは鎮西派(北九州地方を本拠とした)である。
 
 【西山派】さらに西山(せいざん)派(京都西部の光明寺を本山とする)も南北朝時代末から三河に進出し、法蔵寺(岡崎市)・安楽寺(蒲郡市)ができた。十五世紀の末には、妙心寺(岡崎市)・浄林寺(碧海郡六ツ美村)、十七世紀はじめに大林寺(岡崎市)など松平氏と関係の深い西山派寺院がつくられた。松平氏は、鎮西派をおもに信仰しながら西山派に対しても排他的ではなかった。
 三河では、正平十一年(一三五六)ごろ声阿が、和田親平の外護をうけ、交通上の要地大浜に称名寺(碧南市大浜)をつくった。のちこの寺は、松平親忠の退隠所ともなった。