戦国大名の人物 家臣の統制

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 戦国大名といわれる人びとは、いずれも風雪にたえた経歴の持ち主であるから、かなりの人物であるといえよう。平凡な人物であれば、没落しさる運命をもっている。今川氏真などその代表人物の一人である。封建制の主君、ことに戦国大名は、独裁君主だからである。しかも彼らは部下や地下人の操縦には、なみなみならぬ努力をはらった。
 毛利元就(一四九七-一五七一)は、遠国に公用出張の部下をいたわり、国境守備の武士には贈り物をした。また日常の座敷に餅と酒をかかさない。小身の武士・小人頭・その組下とか城下の地下人まで引見して料理を与える。このようなことは、幕藩体制下の大名にはみられないことである。上戸には酒の利益をとき、下戸には酒は有害だとて餅を与える。元就は孫の輝元に飲酒をいましめている。実戦からわりだされた勇将の処世法は、二十世紀末の現在にも通じるものがあるように思われる。
 大名のうちには、能・狂言・立花を観賞し、茶道・和歌・連歌などの趣味にふけって、戦塵の一時をすごし、またこれを家臣団統制の一つとして利用した人も少なくない。しかし大名自身がそれをたしなんだのは、あくまでも精神修養とか、余暇をすごしたという限界にとどまるべきである。大名の家臣たちは、基礎教養をつけるため寺院で学ぶのがふつうであった。そこで所定の学習をする(『身自鏡』)。
 在京した大名や家臣によって、中央の文化が分国に伝えられた。また応仁の乱ののち、連歌師や芸能人は、大名を保護者にもとめて地方を巡業した。