朱子学は、権力者の独裁を肯定した教理が強く、大名の指導精神にふさわしい。武田信玄らをはじめ、儒学を研究した大名は多い。その中心地は下野(しもつけ)(栃木県)の足利学校である。【宋学】また鎌倉御所足利満氏は、義堂周信(ぎどうしゅうしん)について『貞観政要(じょうがんせいよう)』を学び、菊池氏と島津氏は、桂庵玄樹をむかえ、九州に宋学をおこした。能登守護畠山義総は享禄(きょうろく)三年(一五三〇)、若狭守護武田氏は天文元年(一五三二)、越前守護朝倉義景は天文十四年から十九年(一五四五-一五四九)にかけて、いずれも舟橋宣賢を招き、「中庸章句」・「孟子」・「古文孝経」などの講義をきいた。