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【一頁】
井伊直平判物
 内容:井伊直平が祝田助四郎に下地を与えたことを祝田祢宜に伝える。

 
祝田助四郎下地
之事年貢取
替付而彼者ニ一
所ニ致扶持所也
仍為後日如件
永正八年辛末
霜月十三日(花押)
祝田祢宜
 

【二頁】
今川氏親判物写
 内容:今川氏親が遠江国祝田祢宜に社領を安堵する。

 
就彼名田之儀小野兵庫助
雖申事候一処 西月両方
被聞分被申付候上者三貫文
早々沙汰ニ付而者何方より
違乱候共名田者長祢宜
可相拘候者也為後日之如件
永正十六年辛巳
正月十二日 (花押)
祝田祢宜
 

【三頁】
(小野ヵ)貞久寄進状
 内容:(小野ヵ)貞久が治病祈祷のため、遠江国祝田大明神に田地を寄進する。

 
納祝田今度之御くわんらく
大明神
申たてに三百代の田一たん
永代御きしんにて候能々御祈
念可被申候仍如件
享禄三年四月廿八日 貞久(花押)
祢き
 

【四頁】
井伊直盛判物写
 内容:井伊直盛が遠江国祝田の喜三郎に給分を与える。

(花押)
 
今度就手出候抽
於走舞仕者十貫
文之分為給分可
扶持者也委細和泉守
可申付候仍如件
天文八己亥
五月十二日
 
祝田
喜三郎かたへ
 

【五頁】
井伊直元書状
 内容:井伊直元が祢宜公事などについて書状を記す。

 
御懇比之札令披見仍爰元之義無替義
候条可有御心安候伊藤源三も夕部
闕落之旨風聞候是ハ目下之義不存候さ候てハ
近所ニてき有間敷候間軈而可有帰陣
かと存候将又祢き公事之義承候具承分候
一札之事承候へ共二三日中ニ迚も帰陣之事
候間延引候信州へも具直談申候間帰陣之上
一書ハ出し可申候少度怪躰共候間さてさて
申候可有御心得候将又兵粮之調之由
承候心安存候久留目木へ被登之由定而
御茶被成候哉然者少度可給候爰元
茶さへ候ハす候不弁中々無申計候
何も濫妨ニて兵根馬之大豆なと多
候へ共我々か不具候ヘハ御推量可有候いかさま
近日帰陣候ハんほとに可有御心安候恐々
謹言
三月二十九日 直元(花押)
 

【七頁】
井伊直盛判物写
 内容:井伊直盛が遠江国祝田百姓中に対して、地主に背く脇者・下人の成敗を命ずる。

 
(花押)
 
祝田百姓等脇者
下人之事背地主
之儀余人江成被官
或号鳥帽子々成契
約事堅可停止
若於有背此旨輩
者地下中以談合可
成敗者也為後日仍
如件
天文十五丙午
八月廿四日
祝田
百姓中
 

【八頁】
井伊直盛判物写
 内容:井伊直盛が祝田祢宜に遠江国祝田いち免を安堵する。

 
(花押)
 
祝田いち免之事
如前々付置上者祢宜
同前ニ宮江可奉公也
若於有無沙汰之儀
者自祢宜方於致注
進者召放可成他計ニ
者也仍如件
天文廿一年壬子
二月七日
    祝田
     祢宜
 

【九頁】
井伊直盛判物写
 内容:井伊直盛が遠江国祝田百姓中に夫食の提供は年貢催促の時に限る旨を下知する。

 
(花押)
 
祝田地下中伕
食之事年貢
催促之時者不及是非
其外人足以下用之
時者近所之事候間もたへ
有間敷候但有子細
就逗留者可極其時
此背下知六ヶ敷事
於有申懸者者可致註
進者也仍如件
天文廿四年
三月十三日
祝田百姓中
 

【十頁】
井伊直盛書状
 内容:井伊直盛が遠江国祝田鯉田の年貢高を定める。

 
祝田鯉田年貢之事近年源四郎
有申様廿貫文ニ相定候処ニ年々
水損就以外而連而佗言仕候間後
年之事者定成十四貫ニ相定可納
所之由可被申付候如此相定候上者縦
雖為彼田地無田可納所也但此上も
有訴人過分就納所仕者田地を
可上置者也為後日一筆申候恐々
謹言
弘治弐年丙辰
十二月十八日 直盛(花押)
左馬助殿
方玖禅門
 

【十一頁】

 
左馬助殿   直盛
    方玖禅門
 

【十二頁】
井伊直泰坪付

 
(井伊直春鯉田割付)
 
弘治弐年丙辰鯉田ふりは
十四貫定成之日記
壱貫七百十五文  弥八
三百九十文    七郎五郎
七百七十二文   六郎兵衛尉
壱貫五百五十六文 八郎五郎
弐百八十二文   三郎五郎
弐百八十二文   九郎三郎
百十一文     助馬
壱貫八十七文   源三郎
五百文      源二郎
八百五十文    八郎五郎
弐貫八十五文   方玖
七百七十九文   三郎兵へ
六百八文     藤衛門
壱貫百四十二文  祢宜
壱貫三百卅九文  彦左衛門
五百文      兵へ五郎分
直泰(花押)
方久
 
(下段)
 
惣百性中御わひ事
申候拾四貫ニ申定
わり付候上ハ若
此上井りやう蔵付
引物何にてもいらん
申候者有ニおいてハ
御せいはいを申可請候
 

【十三頁】
井伊直元判物
 内容:井伊直元が遠江国祝田祢宜に祢宜役と神田を安堵する。

 
今度依申
分祢宜役并
新寄進神田
如前々申付者也
弥々祈念専候
仍如件 
直元(花押)
弘治四年むま
四月二日
祝田祢宜
 

【十四頁】
(井伊次郎法師)年貢割付
 内容:遠江国祝田郷の年貢を配分する。

 
祝田御年貢納所之事
八貫五百文 井料引地
此内
弐貫五百文 大明神修理田
合百廿貫文者
廿五貫文  こい田けんミ所
九百文   殿田御代官免
九百文   太藤馬
十五貫文  小野源一郎殿
参貫文   小野但馬殿
廿五貫文  御一家中
参貫文   祢宜免
永禄七年甲子七月六日
 

【十五頁】
匂坂直興書状(井伊谷徳政関連文書)
 内容:匂坂直興が駿府で越年し、遠江国井伊谷徳政実施に尽力することを祝田祢宜に約束する。

 
月はくニ候而無御披露候ゆへ当年相
澄候ハす候而此方ニ而越年候さりなからかわる
儀候ハぬ間可有御心易候就中彼儀も御そうしや
少も御隙なく候而相とゝのわす候はるハ早々相
調可申候間我等ニまかせられへく候小但と此方ニ而談合
申候可有御心易候何も此分御心得候へく候よくよく
そなたにて御おんミつニ候へく候恐々謹言
匂左近
十二月廿八日  直興(花押)
祝田祢宜殿まいる
 
自駿府
祝田祢宜殿   匂左近
              まいる
 

【十六頁】
匂坂直興書状(井伊谷徳政関連文書)
 内容:匂坂直興が遠江国井伊谷徳政訴訟につき、駿府より藤左衛門に状況を知らせる。

 
用之事候て兵へ三郎上せ候仍彼儀小そうしやへ談合
申候か御ひろう候ハぬさきニ彼儀落着なされ候ヘハ
あしく候はやはや御奉行まへにてさいきよになされ
候うヘハとかくニ 上様御下知次第ニあるへく候を御
披露之候ハぬさきにすまし候てハかへつてわたくし
の由御ひはん候へは大せつ候間内儀をハゑちことのへ
可申候由被申候いかさまニむかいよりいかやうニ御そせう
申候共御披露候ハぬまヘハなるましく候間可有御心安候
我等も来月はしめハのほり候へく候間様躰談合
可申候くわしくハひやうへ三郎可申候恐々謹言
正月廿五日   直興(花押)
 
自駿府
藤右衛門殿    匂左近
             まいる
 

【十七頁】
匂坂直興書状(井伊谷徳政関連文書)
 内容:匂坂直興が遠江国井伊谷徳政訴訟につき、駿府より祝田祢宜に報告する。

 
彼一儀種々越後殿へ申候先年御判形のすち
めにて候間御切紙御越候ともくるしからす候へ共
我等共御奉行まへにてさいきよニむすひ候て御ひらう
なきまヘニハいかゝのよしおほせ候又二郎殿のまへ
をなにとかとおほしめし候やうに候間小但へ
申候而次郎殿御存分しかときゝとゝけ候て早々被仰
付候而尤之由次郎殿より関越へ被仰候様ニ小但へ
可被申候我等方よりも小但へ其由申候たとへ次郎殿
より御状御越候ハす候共小但より安助兵まて
尤之由被仰候と御切紙とりこされへく候二郎殿も
それにて
関越へ可申候小但へ能々談合候へく候恐々謹言
匂左
六月卅日   直興(花押)
 
 
ほう田の     自駿府
祢宜とのへ   匂左近
まいる
           
 

【十八頁】【十九頁】
匂坂直興書状(井伊谷徳政関連文書)
 内容:匂坂直興が遠江国井伊谷徳政実施につき駿府にて尽力する。
蜂前神社文書18    蜂前神社文書19

 
徳政之事すまし候て関越より御状井次へ一ツ家中衆へ
一ツ遣之候先以御心易候都田のも一ツ取候祝田都田
郷之事ハ何も惣次たるへく候小但へ委細申候間小但を能々
被頼入候て軈而井次より被仰付候様ニ尤候此上者誰人も
異儀被申間敷候一ちんせんの事ハ銭主申やう有間敷候
我等主ニなり候て御城の用意ニてつはうなり共たまくすり
なり共一かたかい候て御城ニ置候ハんよし此方ニ而関越へも
安助へも申定候殊ニ二三年銭主方なんしう申候而田畠
渡候ハぬ上者とかく申やう有ましく候由小但へも申入候能々
小但ニ談合尤候一御礼物之事関越へ五貫文安助へ
三貫文ニ約束申候而我等此方ニ而一筆を仕候今度便ニ
我等かたへ二三人より御礼物の借状可給候大事の事ニ候
間申事候一都田の衆ハ礼物ハ別ニ可有候借銭之多
少ニよって可有之候此由瀬戸衆都田衆へ内々にて可被申候
十郎兵ニも申候此年来御百姓衆よりも我等口惜存候つるか
本望候百姓衆ハ我等せいニ入候事ハさほとハ御存有間敷候
一安助其地へ御越之事候間今度徳政御きも入恭候とて
永楽二十疋の御樽代にて先々御礼申候て尤候さやうニ
候ハねハ百姓ハさのミそせう候ハぬに我等きも入候なとゝ
御そうしやも可被存候たとへ銭主方此上 御上意へ
御そせう申候共何時も安助頼入候而可申入申候今度先々
御樽代にて出候て尤候当所務被仕候てやかて関越安助
御礼物之事ハとゝのい候やうにかくこかんようにて候

(裏面)

 
其まヘニさへ少ハ調度候千ニ一つも銭主方 上様へ御
訴訟申候共あいてにハ此上ハ次郎殿にて可有候間申やう有間
敷候殊ニ我等あいてにてい□□御心易可有候又我等やとへ
代物少の調候て御渡頼入候すへのかんちやうニたて申へく候
長々在府之事候間御すいりやう候へく候やとへ用の
事申越候間まちまへニすこしなり共御わたし頼入候
やとへも申こし候返々本望候恐々謹言
我等かたより岡殿井河へも申候又其地さうせつのよし候間
とりしつめ候て被仰付候やうに小但へ可被申候
匂左
八月三日          直興(花押)
祢宜殿参
 
祝田     自駿府
祢宜殿   匂左近
まいる
 

【二十頁】
関口氏経書状(井伊谷徳政関連文書)
 内容:関口氏経が遠江国井伊谷徳政の実施を井伊直虎に催促する。

 
其谷徳政事去刁年以 御判形雖被仰付候
井主私被仕候而祝田郷中都田上下給人
衆中于今徳政沙汰無之候間本百性只今許
訟申候条任 御判形旨可被申付候刁年被仰付候
処ニ銭主方令難渋于今無其沙汰儀太以
曲事ニ候此上銭主方如何様之許訟申候共許容
有間敷候為其一筆申入候恐々謹言
関越
八月四日   氏経(花押)
井次参
 

【二十二頁】
関口氏経書状(井伊谷徳政関連文書)
 内容:関口氏経が遠江国井伊谷徳政の実施を井伊直虎に催促する。

 
関口氏経書状写
 

尚以各々無沙汰
無之様ニ可被申
付候以上
其谷徳政之事去
刁年以 御判形
雖被仰付候井主
私被仕候而祝田郷中
都田上下給人衆
之中于今徳政沙汰
無之間本百性只今
許訟申候条任 御判形
之旨ニ可被申付候刁年
被仰付候処銭主方令
難渋于今無沙汰儀太以
曲事ニ候此上銭主方
如何様之許訟申候共許
容有間敷候為其
一筆申候恐々謹言
関越
八月四日 氏経
 
伊井谷
親類衆
被官衆中
 

【二十三頁】
関口氏経井伊直虎連署判物
 内容:関口氏経らが遠江国祝田郷徳政の実施を祝川禰宜に命ずる。

 
関口氏経井伊直虎連署判物
 
祝田郷(遠江国引佐郡)徳政之事.去
寅年(永禄九年)以 御判形雖被
仰付候、銭主方令難
渋、于今就無落着、
本百性〔姓、下同ジ〕令許訟之条〔訴、下同ジ〕、
任先御判形旨申付
処也、以前々筋目名
職等可請取之、縦
銭主方重而雖企
許訟、不可許容者也、
仍如件、
  永禄十一辰       関口氏経(花押)
     十一月九日
              次郎直虎(井伊)(花押)
      祝田郷
        禰宜
        其外百性等
 

【二十四頁】
徳川家徳政下知状
 内容:徳川家康が三河・遠江両国に徳政を行う。

 
三遠両国御得政之事
右永代売渡田地并質物を入置
借銭此二ヶ条相除之其外年季
定売買田畠屋敷借銭借米
悉被為入如此之上或親子兄弟或ハ
知音間立之を申背御禁法為
内儀致取引者曲事甚以不軽
縦雖為後日達 上聞者速
可被 仰付之由也仍御下知如件
天正十二年
三月三日  奉行所
 

【二十五頁】
豊臣秀吉禁制

 
禁制
一軍勢甲乙人等乱妨狼藷事
一放火事
一対地下人百姓非分之儀申懸事
右条々若於違犯之輩忽可
被処罪科者也
天正十八年正月日 (秀吉朱印)
 

【二十六頁】
氏名未詳判物
 内容:遠江国祝田祢宜が褒美として田地を与えられる。

 
今度ことハり神妙儀候間ほうひとして
かゝゑ置候内を以牛田壱反出置候
我ら一代之事者相違有間敷候
者也
天正拾八年刁二月二日  定(花押)
ほう田の祢宜
 

【二十七頁】
(袴田直清書状写)

 
返々右分御引
可被成候小野ハ高ハ
御引之事御
一書申入候刑部
無用にて候新田分
村金山領名倉
ニて御引可被成候
わかさ殿手形
又申候ほう田村も
明鏡ニ御入候間高
新田候ハて高之外
七石分御引可被成
にて成共御引
候又祝田村にて
可被成候大体之由
過分之高ニ神
申候間如此申候以上
領少も無御座候とて
せつせつ被申来候間
三石め御引可被成候
小野蔵泉庵そん
高ハ引被成す共
新田は于今御引
(下段)
御尤候せつせつ
江戸まて御そ
しやうニ候へ共于今
不申候へはたゝ今
御帳御たまり
候間申入候
袴善兵衛
うつし   直清判
四月廿六日
 
 
小嶺藤七様
 

【二十八頁】
伊奈忠次手形

 
社領之事
合五石者(黒印)
右御寄附所也
弥祭礼修造等
不可有怠転候者也
仍如件
辰 伊奈備前
八月十九日忠次(花押)(黒印)
祝田村
大明神
 

【二十九頁】
竜泰寺納所書状

 
八王子之森之
松木之事一両度
申候へ共新木之由
承候へ共宮ニ近
所之事候間一本
可伐之由東堂も
被仰候為其一筆
申候恐々謹言
竜泰子(寺) 納所
十一月七日   □□(花押)
祢宜
喜三郎殿
      参
御宿所
 

【三十頁】
井伊直孝口上書覚

 
口上覚
遠州引佐郡祝田村
羽鳥大明神々主萩原
十郎左衛門私先祖之書付遠
路持参為見申候義満足仕候
此段被仰聞可被下候彼の
十郎左衛門ニ為路銭銀子三枚
遣し申候間従貴様御届可被
下候頼入存候以上
五月四日  井伊掃部頭
近藤小十郎様