解説

 【中世】浜松城の前身である引馬城は、現在の東照宮付近一帯の小規模な丘陵地に位置する。15世紀代に築城されたとみられ、15世紀末~16世紀代の遺物が出土している。また、引馬城の東側には中世東海道の宿場町として引馬宿が栄えていた。引馬城築城時の城主は不明であるが、16世紀前半には今川氏配下の飯尾氏が城主を務めていた。元亀元(1570)年に徳川家康が岡崎城から引馬城に移ると、城域を西側の段丘へと拡張して浜松城と改称したとされる。家康在城期の浜松城の構造は不詳であるが、石垣や瓦葺建物のない中世的な城であったとみられる。天正18(1590)年、家康の関東移封に伴い豊臣秀吉配下の堀尾吉晴が入城すると、浜松城は現在みられる野面積みの石垣が築かれ、天守をはじめとする瓦葺建物が建築されたと考えられている。
 
 【近世】現在残る絵図等をみると、江戸時代前期には天守曲輪・本丸・二の丸等に加え、三の丸や城下町の整備までがほぼ完了していたとみられる。一方で天守はすでに失われていたとみられ、その姿は描かれていない。幕末に至るまで改修を重ねながらも基本的な縄張りは踏襲された。また、東海道は城域の南端である大手門の前でほぼ直角に折れ曲がって、直線的に馬込川へと延びるように整備され、沿道は宿場町として栄えた。浜松城の城主は、幕府の要職を務める譜代大名が短期間で務めるようになり、江戸時代を通じての城主は九家二十二代を数える。 参考文献:「浜松城跡10」発行/浜松市教育委員会
 
 
浜松城跡の周辺地形
 →今川氏配下による引馬城の時代(16世紀前半)
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今川氏配下による引馬城の時代(16世紀前半)
 →徳川家康による浜松城築城期(1580年頃)
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徳川家康による浜松城築城期(1580年頃)
 →堀尾吉晴による豊臣系城郭化の時代(1590年~1600年)
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堀尾吉晴による豊臣系城郭化の時代(1590年~1600年)
 →徳川譜代による近世浜松城の時代(17世紀前半以降)
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