【近世】現在残る絵図等をみると、江戸時代前期には天守曲輪・本丸・二の丸等に加え、三の丸や城下町の整備までがほぼ完了していたとみられる。一方で天守はすでに失われていたとみられ、その姿は描かれていない。幕末に至るまで改修を重ねながらも基本的な縄張りは踏襲された。また、東海道は城域の南端である大手門の前でほぼ直角に折れ曲がって、直線的に馬込川へと延びるように整備され、沿道は宿場町として栄えた。浜松城の城主は、幕府の要職を務める譜代大名が短期間で務めるようになり、江戸時代を通じての城主は九家二十二代を数える。 参考文献:「浜松城跡10」発行/浜松市教育委員会
浜松城跡の周辺地形 →今川氏配下による引馬城の時代(16世紀前半) |
⇒並べ重ね画像
|
今川氏配下による引馬城の時代(16世紀前半) →徳川家康による浜松城築城期(1580年頃) |
⇒並べ重ね画像
|
徳川家康による浜松城築城期(1580年頃) →堀尾吉晴による豊臣系城郭化の時代(1590年~1600年) |
⇒並べ重ね画像
|
堀尾吉晴による豊臣系城郭化の時代(1590年~1600年) →徳川譜代による近世浜松城の時代(17世紀前半以降) |
⇒並べ重ね画像 |