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東広島市の石造物
(呼岩 よびいわ)
呼
岩
よびいわ 所在地 東広島市安芸津町三津 年 代 不明 形 状 花崗
岩
高さ八・五m ヨコ一四,m 銘 文 無銘 概 要
呼
岩
は
岩
伏山の山腹にあり大
岩
である。,谷をへだてた所に「喚応所」銘の石碑があって、ここから
呼
岩
に向かって叫ぶとエコーが返えってくる。,三津の
呼
岩
は江戸時代の景勝地として有名で菅茶山もここを訪れて紀行文を遺している。,喚応所
呼
岩
/
呼
岩
よびいわ
東広島市の石造物
(神武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ)
神武天皇腰掛
岩
じんむてんのうこしかけいわ 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 不明 形状 花崗
岩
,賀茂神社が焼失したので新宮神社に合祀され、その際腰掛
岩
も境内に移された。 ,その後手水鉢に造りかえられ、神武天皇腰掛
岩
として伝承されてきた。 ,この神武天皇腰掛
岩
の盃状穴を主題にする場合には新宮神社盃状穴と
呼
称する。 ,(用語解説 新宮神社および盃状穴参照のこと) [神武天皇腰掛
岩
] / 神武天皇腰掛
岩
じんむてんのうこしかけいわ
『万葉火』を灯す町
([万葉太鼓(まんようだいこ)])
「さざなみ」「
呼
岩
(よびわ)」の2グループが活動しており、国際交流の場や町内外の様々なイベントで活躍していました,現在も活動している「
呼
岩
」の代表者にお話しを伺(うかが)いました。,といわれている
呼
岩
のように、みなさんと共鳴(きょうめい)していきたいです。,
呼
岩
(よびいわ)とは? ,安芸津町三津
岩
伏にある鸚鵡(おうむ)石ともよばれる奇
岩
(きがん)で、大
岩
にむかって、大声で叫ぶと、第一
東広島市の石造物
(長楽寺跡多聞天石仏 ちょうらくじあとたもんてんせきぶつ)
ちょうらくじあとたもんてんせきぶつ (県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 鎌倉時代 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は石造多聞天立像) [長楽寺跡多聞天石仏]
東広島市の石造物
(西品寺水船 さいほんじみずぶね)
(県重文) 所在地 東広島市高屋町中島 年 代 鎌倉時代 元享二年(1322) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は石造水槽) [西品寺水船]
東広島市の石造物
(竹林寺七重層塔 ちくりんじしちじゅうそうとう)
ちくりんじしちじゅうそうとう (市重文) 所在地 東広島市河内町入野 年 代 室町時代 形 状 花崗
岩
,(用語解説 名井光叶 参照のこと) (東広島市教委の
呼
称は竹林寺石造物) [竹林寺七重層塔
東広島市の石造物
(竹林寺阿弥陀名号板碑 ちくりんじあみだみょうごういたび)
(市重文) 所在地 東広島市河内町入野 年 代 室町時代 永正十一年(1514) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は竹林寺石造物) [竹林寺阿弥陀名号板碑]
東広島市の石造物
(西福寺跡大日種子板碑(1) さいふくじあとだいにちしゅじいたび)
(県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 鎌倉時代 正中二年(1325) 形 状 花崗
岩
,(用語解説 行賢 参照のこと) (東広島市教委の
呼
称は石造供養碑) [西福寺跡大日種子板碑(
東広島市の石造物
(西福寺跡大日種子板碑(2) さいふくじあとだいにちしゅじいたび)
さいふくじあとだいにちしゅじいたび (県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 鎌倉時代 形 状 花崗
岩
,(用語解説 偈頌 参照のこと) (東広島市教委の
呼
称は石造供養碑) 全景 [西福寺跡大日種子板碑
東広島市の石造物
(森実二尊種子板碑 もりざねにそんしゅじいたび)
金剛界大日如来 銘 文 藤原 光叶 朝臣 亨禄三年 八月日 概 要 遺品は古くから梵字
岩
と,
呼
称されていた。
東広島市の石造物
(小田八幡神社阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび)
(市重文) 所在地 東広島市河内町小田 年 代 室町時代 文明十一年(1479) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は小田八幡神社板碑) [小田八幡神社阿弥陀種子板碑(1)]
東広島市の石造物
(西福寺跡地蔵石仏 さいふくじあとじぞうせきぶつ)
(県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代 暦応四年(1341) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は石造地蔵菩薩立像。) [西福寺跡地蔵石仏]
東広島市の石造物
(長楽寺跡不動明王石仏 ちょうらくじあとふどうみょうおうせきぶつ)
(県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 鎌倉時代 元享二年(1322) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は石造不動明王立像) [長楽寺跡不動明王石仏]
東広島市の石造物
(小田八幡神社種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび)
(市重文) 所在地 東広島市河内町小田 年 代 室町時代 永禄十三年(1570) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は小田八幡神社板碑) 全景 [小田八幡神社種子板碑(2)]
東広島市の石造物
(杣木石仏群 そまきせきぶつぐん)
市重文) 所在地 東広島市河内町入野 年 代 室町時代 応永二十五年(1418) 形 状 花崗
岩
,(東広島市教委の
呼
称は杣木の石造地蔵菩薩立像) 全景 後列
東広島市の石造物
(下見廻国記念碑 したみかいこくきねんひ)
したみかいこくきねんひ 所在地 東広島市西条町下見 年 代 江戸時代 文化十二年(1815) 形 状 花崗
岩
,文化十二亥 十月 大坂世話人 概 要 「廻国塔」は、釈迦滅後、弥勒菩薩がこの世に出現するまで、大乗妙典と
呼
ばれる
東広島市の石造物
(稲生神社出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ)
御建神社の出雲形と違う点は、石材は脆い出雲の来待石であり、尻尾は太い棒状で、蝋燭状で出雲尾と
呼
ばれている,台座は将棋盤状で牡丹の絵が描かれているところは同じであるが、直接その台には乗らないで足下のごつごつした
岩
の
東広島市の石造物
(西福寺経塚 さいふくじきょうづか)
さいふくじきょうづか 所在地 東広島市八本松町吉川 年 代 室町時代 天文二十一年(1552) 形 状 花崗
岩
,このような塚を一字一石塔と
呼
ぶ。
東広島市の石造物
(11 盃状穴 はいじょうけつ)
起源 一万年前スカンジナビヤ地方で家畜の豊穣を祈念して
岩
石に丸い形をいくつも印した。,盃状穴は朝鮮半島から日本に伝来して「盃状穴」と
呼
称された。
東広島市の石造物
(せ)
石 庭 せきてい
岩
石で構成した、日本風の庭園。枯れ山水はその一例。, 石 祠 せきし 江戸時代には各種の小祠に石製のものが用いられ始め、それらは石祠と
呼
ばれている
東広島市の石造物
([遺物編目次])
頭崎梵字
岩
…………………………20 13竹林寺梵字
岩
群集成(河内町)…21 14古墓 福成寺古墓, 神武天皇腰掛
岩
……………………30 21巨石信仰 金剛
岩
………………………………31
岩
蔵神社巨石,………………………31
岩
崎神社巨石………………………32 22供養碑 御建毛魂碑……………,71 溝口電燈架設記念碑………………71 5巨石 すくも塚……………………………72
呼
岩
, 竹林寺表参道梵字
岩
群(河内町)21 竹林寺西参道梵字
岩
群(河内町) 21 15行賢遺跡
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