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東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

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東広島市の石造物 (鶯塚 うぐいすづか)

鶯塚 うぐいすづか 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 寛政五年(1739) 形 状 ,花崗岩 高さ一五〇cm ヨコ一六〇cm タテ三五cm 銘 文 鶯塚 概 要 松尾芭蕉の門人野坡の高弟,風律の俳句「鶯やとなりなれとも こ地の枝」から鶯塚と名付ける。  ,(用語解説 白市 参照のこと) [鶯塚] / 鶯塚 うぐいすづか
東広島市の石造物 (すくも塚 すくもづか)

すくも塚 すくもづか 所在地 東広島市志和町奥屋 年 代 不明 形 状 花崗閃緑岩 高さ 約七m, ヨコ一二m タテ八・五m 概 要 すくも塚とは、村の長者が毎年米を搗いて出た籾殻を積み上げておいたところ,、長年の間に巨大な石となったという言い伝えがあり、その塚のことをいう。  ,全 景 [すくも塚] / すくも塚 すくもづか
東広島市の石造物 (福富魚塚 ふくとみうおづか)

「魚塚」本体と「魚塚縁起」の2基の石碑で構成されている。,「魚塚縁起」の要旨は次の通りである。少年の日沼田川は魚介類の宝庫であった。,生きる物は譲り合い共存して栄えるべきと考え魚塚にその願いを託した。   ,「魚塚」には「魚塚縁起」を詩に詠み刻んである。  ,(用語解説 塚 参照のこと) [福富魚塚] / 福富魚塚 ふくとみうおづか
東広島市の石造物 (西福寺経塚 さいふくじきょうづか)

西福寺経塚 さいふくじきょうづか 所在地 東広島市八本松町吉川 年 代 室町時代 天文二十一年(1552,大般若経六〇〇巻を転読し、また、莫大な数の小石を村人に運ばせて、石に経文を一文字ずつ書写し、土中に埋めて経塚を,このような塚を一字一石塔と呼ぶ。  ,この経塚は現在も本堂の西側に現存して石垣で塚が護られ、中央に五輪塔が造立してある。   ,(用語解説 一字一石塔 参照のこと) [西福寺経塚] / 西福寺経塚 さいふくじきょうづか
東広島市の石造物 (つ)

つ 塚  つか  塚には二つの系統がある。,前者では人の首、人間の生活に役立った命あるもの、道具類などを埋めた魚塚、針塚等、後者の例は一里塚。
東広島市の石造物 (安芸国分寺塔跡五輪塔 あきこくぶんじとうあとごりんとう)

 文 無銘 概 要 安芸国分寺の西方50mにある、聖武天皇の玉歯が埋められているという伝承があった塚を,礎石が塚で護られていたため心礎をはじめ礎石が完全に遺り貴重である。  ,本五輪塔はその塚の上に安置されていたものである。  
東広島市の石造物 (い)

  一字一石塔 いちじいっせきとう  経塚ともいう。経塚には2種ある。,1つは経筒(教典を銅製の筒に入れたもの)を地中に埋め納めて塚を築き上に塔を置くもの。  ,経塚の目的は経典を永く後世に伝えるためであったが、近世は多くは祈願・追善のためのものである。
東広島市の石造物 (す)

す すくも塚 すくもづか  長者伝説に由来。
東広島市の石造物 (御建毛魂碑 みたてもうこんひ)

(用語解説 鳥獣供養塔 供養碑 塚 参照のこと) [御建毛魂碑]
東広島市の石造物 (う)

  鶯 塚 うぐいすづか  高屋町白市の白山城山麓の光政寺近くに所在する。
東広島市の石造物 (く)

人以外の場合は塔以外に碑や塚を付ける場合が多い。
東広島市の石造物 (あ)

現安芸国分寺の西方50mにある、聖武天皇の玉歯が埋められているという伝承があった塚を昭和七年(1932
東広島市の石造物 ([遺物編目次])

……7  平泰寺無縫塔………………………8 6石幢  妙福寺石幢…………………………8 7経塚, 西福寺経塚…………………………9 8板碑集成(河内町を含む)………9 9供養塔  蔵田備中守供養塔,岩崎神社巨石………………………32 22供養碑  御建毛魂碑…………………………32  福富魚塚(,……………………64 第4章 その他 1文学碑  羅漢古碑……………………………66  鶯 塚…, 木谷電燈設置記念碑(安芸津町)…71  溝口電燈架設記念碑………………71 5巨石  すくも塚…
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